メキシコでOL、25歳

日本育ち、メキシコで新卒就職。2年目も苦労と発見と美味しいものでおなかいっぱい。

day 565: 映画『HALLOWEEN(2018)』

特にネタバレなし。

 

 

流行のものや人に勧められたものに対して

私はちっとも抵抗感がないどころか、

新しいもの見たさにほいほいと付いて行く。

大抵のものは知らないだけで

体験してみれば何か面白がれる部分があるから。

 

そんなわけで今回同僚から見よう見ようと

公開日からずっと誘われていたのは

HALLOWEENというまさにこの時期の映画。

もう四十年も前から断続的に発表されてきた

とても有名なホラーシリーズの最新作。

公開時期も、作中の舞台もハロウィーン

仮装マスクを被り町へ繰り出し関係者を殺して歩く

ブギーマンという殺人鬼対精神科医ルーミス。

二人の攻防が続くそんなスプラッタ映画の金字塔は

監督ジョン・カーペンター出世作だとも。

今回はその第一作の40年後の話を描く直接の続編。

 

しかし、しかしなぁ。

いくら名作だと、北米では一般教養だと思えども、

どんなに面白いからといわれようとも

スプラッタは、私向きではなかったと大反省。

 

そもそもからして、

暴力描写やグロテスクなものが苦手なのだった。

北野武監督のアウトレイジでさえ

いくつもの場面で耐え切れず目を覆っているような私は

その暴力を売りにしている映画を大画面で見せられて

もちろんまともに耐えられるはずもなく。

包丁が出てくる度に下を向き、横を向き。

 人が殴りつけられている音で気持ちが悪くなり

映画館で何度も何度も退席を考えたのは初めて。

痛みや恐怖を想像してしまっては

鬼気迫る緊迫感と恐怖に始終

胸を押さえつけられているような息苦しさを感じた。

 

ゆらゆらと不安定なメインテーマ、

ひたすら緊張感を強いてくる演出、

圧倒的に肉体的に強いブギーマンへの恐怖。

まるで自分がそこにいて、彼に追われているよう。

とにかく、ただただ

見つかれば死という分かりやすさ、

その痛々しさが恐ろしい。

 

そしてなにより 顔も見えず、声も発さず、

マスクの下でわずかに息を立てるだけの

マイケルの読み取れない思考と

目的に対する獣のような嗅覚と行動力。

その理不尽さにぞっとした。

 

今まではスプラッタもホラーも、

なんだか薄暗くて血みどろで悲鳴が聞こえて

どちらも同じような苦手なものと括っていたけれど

ホラーの方が私は断然耐えられる。

恐怖の種類がまったく違った。

痛みを想起される暴力への恐怖はもっと根源的なもの。

 

 

それにしてもこの映画のお陰で

不必要に政治的なことまで考えてしまった。

 

いくら精神病棟へ収監されているとはいえ

40年間もその復活におびえながら生きてきた

第一作目からのヒロインローリー。

犯罪の被害者にされてしまったことで

嫌がおうにも捩れてしまった彼女の人生を想像して、

死刑の賛否について少し考え直した。

 

元々私の死刑に対するスタンスはおそらく賛成派。

ただ正当な理由なく、あるいは過失でなく

他人へ重大な危害を加えた人物を国が殺すシステムに

違和感を感じたことはない、という程度の

しっかりと考えたことはないものだったけれど。

犯罪者の人権、被害者の人権、抑止力、

いろんな人が色々な方向からの意見を出し合い

喧々諤々しているのをまったく遠くから見ていた。

 

しかしこの映画を見、インターネットで

数人のシリアルキラーについての記事を読むに当たり

立ち居地としては同じでも、

その根拠が少し変わった気がする。

 

この世の中には善悪の区別見境なく

自分の他人に向ける暴力的な欲望を

コントロールできない人が一定数いると私は思う。

殺人を目的として殺人をする者、

何度も他人を傷つけても自分の利益や快楽の為

それをやめることの出来ないもの、

あるいは危害を与えたい特定の相手がいて

いつまでも虎視眈々とその機会を待っている者。

 

自分がそんな人々の被害者になったとして、

今の日本のいつかは出てこれてしまう短い刑期と

それすらも行い次第で短縮できてしまうシステム、

何より自然災害や人的災害、ミスなどで

いつ何時犯人がまた自分の前に現れるか分からない。

そんな状況では恐ろしくて恐ろしくて、

とても事件を乗り越えるどころではない。

日々もう一度襲われるシミュレーションをして

一日中まんじりともできなくって、

残りの何十年もの人生のほとんどを

どう身を守るか考えることに費やしてしまいそう。

それこそこの映画のローリーだ。

彼女はごりごりの攻撃型に転じていたけれど

結局は自分が殺されかけたというトラウマと

その元凶がまだ手の届く場所に生きている

という恐怖に支配されて、

沢山の手に入るはずだったものを失ってしまった。

ただでさえ辛い目にあって

それでも生きていかないといけない被害者に

それはひどい仕打ちだと思う。

 

そんな彼らにとっては、

加害者が死ぬ以外に

安心して生きていける方法はあるのだろうか。

 

あるいは自分がそんな加害者となったとしたら、

罪の意識、モラルが常人と違うのだったら、

あるいは分かっていても自分を止められないのならば、

それはパチンコ中毒やアルコール中毒

太ると分かっていても後一枚

クッキーとつまんでしまうことと

ちっとも変わりはない。

そんなの、出来ない間は我慢ができても

 チャンスが巡ってくればぶり返してしまう。

一種病気のようなもの。

けれど病人だからと許すことは出来ない。

治らない病気もあるのだから。

そんな場合にはもう殺される以外に

欲求を止める手立てはあるのだろうか。

 

というわけなので、

少数の人としての現代社会のモラルよりも

本人の野性が勝ってしまう一部のヒト為に

死刑制度はとっておかないといけないと思う。

 

逆に言えば私の考え方に則ると

たとえどんなに残虐極まりない行為をしても、

その標的が特定の人物であったり、

特定の反復しない理由に則ったものであり、

なおかつその目的が既に果たされ

その当人に再犯の可能性がない場合には

別にわざわざ殺す必要もないと思う。

その分無期懲役を本当の無期にし、

その間いかに彼らを有効活用するか

同じ非人道的な刑罰ならばそちらを考えた方が

もっとずっと社会貢献だと思う。

 

そうなるとその判断を担うだろう人々、

多分精神医学や心理学の先生などは

将来的には大きな負担がかかるだろうけれど。

 そういったことはどう緩和できるだろうか。

 

まあそんな感じ。

生まれて初めてスプラッタを見て

混乱している部分もまだあると思うので

死刑制度に関しては考えをもう少し研鑽したい。

 

それにしても怖いものが苦手なだけあって

きっと映画館で誰よりもホラーを満喫し、

人生で一番怖い思いをさせてもらったので、

やっぱりこのシリーズは名作なのだろうな

と思いました。

嫌いな人ほど味わえる皮肉。

胸が押しつぶされる様な恐怖を味わいたい人には

私の好みは置いておいて

ちっとも飽きないでずっと怖がれるので

張り切ってお勧めできるとても良い映画。

 

結論。

怪獣映画とスプラッタは

見るなら劇場で見たほうが面白い。